「はだしのゲン」は被爆体験を描いた漫画です。昨年末亡くなった中沢啓治さんが自らの被爆体験をもとに、広島の原爆で家族を失い懸命に生きようとする少年を描いたものです。それを松江市教育委員会は、小中学校の図書館で閲覧、貸し出しを中止させようとしています。過激・残虐な描写があるというのが理由と報道されています。
私の二人の子どもは学童保育で「はだしのゲン」を読みました。原爆が落とされたあと、水を求めてさまよう人びとの皮膚が焼けただれズルズルと剥けている様を読んだその夜は怖くてこわくて一人で眠れませんでした。けれども自分と年の変わらないゲンが懸命に生きる姿から色々な事を学び、戦争の悲惨を知りました。これを読んだことは二人にとって糧になったと思っています。
広島原爆資料館の展示物も悲惨でリアル過ぎるとして見直しの動きがあります。戦争、とりわけ原爆は非人道的で悲惨なものです。この現実をきちんと伝えなければならないのではないでしょうか。私たち世代は直接の戦争体験はありません。だからこそ機会ある毎に現実と向き合い後世に語り継ぐ責任があります。
「はだしのゲン」は映画やアニメにもなり英語やフランス語などにも翻訳され世界で読まれ、原爆をなくそうとの運動を広げる力を持っています。
札幌市が核兵器廃絶平和都市宣言をしたのは1992年で、21年前になります。宣言のなかに「平和にまさる市民福祉はない」と記されています。生命、暮らし、平和を守り一日も早い核兵器の廃絶をとの思いを新たに8月を過ごしています。
核兵器のない平和で公正な世界を
坂本市議も参加 北区原水禁世界大会代表壮行会開く
北区原水協から原水禁世界大会へ参加する代表3名の壮行会が、2日勤医協ぽぷら会館で開催され、日本共産党・坂本きょう子も参加し、激励と応援の挨拶を行いました。
坂本市議は「福島原発事故で、日本は三度目の核被害を受けました。核兵器や原発との共存はできません。原発の再稼動や輸出まで進めようとする安倍・自民党政権を追い詰め、核の恐怖の無い世界を共に実現しましょう」と訴えました。
北区から原水禁世界大会へ参加する代表に応援の挨拶に立つ坂本きょう子市議 代表の高杉努氏(札幌北・石狩健康友の会)は「私は1945年4月生まれ。原爆の恐ろしさ、被爆者の声などを見つめてきたい」。長屋いずみさん(新婦人北支部)は「20数年前に広島大会に参加。それからも世界は大きく動いている。
大会参加者の方と接し多くを学んできたい」。小笠原麻衣さん(勤医協北在宅)は「北在宅センターの代表として長崎にはじめていきます。よろしくお願いします」と決意を表明しました。
壮行会には平野浩勤医協北区ぽぷらクリニック院長、平野紀子新婦人北支部長、前年の代表者も参加し、激励のあいさつを贈ると共に、3名の代表へ四組の千羽鶴が渡されました。
贈られた千羽鶴を手にする代表の(左から)長屋・盛・小笠原・高杉さんの各氏
北区生活と健康を守る会が再建20周年
坂本市議、「守る会は弱者を守る大きな砦」
北区生活と健康を守る会の再建20周年記念祝賀会が4日プラザ新琴似で開催されました。たたかいの原点が1957年の人間裁判(朝日訴訟)にあり、北海道では59年に各地に守る会が結成されました。北区守る会は93年に再建され、現在は会員が500世帯を超える全道一の組織になっています。祝賀会では磯谷俊雄再建時会長が当時を振り返り、守神正純現会長が挨拶。「風雪の20年の歩み」の上映、うたごえ、全国交流会(9月1日)参加者への会場募金や福引きも行われ、多くの来賓のスピーチで20周年を祝いました。
坂本きょう子市議もお祝いに駆けつけ、「私の事務所でも生活苦や高すぎる国保料などで、相談が絶えません。『北区守る会』はまさにそうした弱者を守る大きな砦となっています。これからも共に頑張りましょう」と連帯とお祝いの言葉を贈りました。
祝賀会では「貧困という言葉が死語となる世の中になるまでわたしたちはたたかい続ける…」と決意を固めあいました。
会場一杯の参加者で、大盛況となった祝賀会